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| 醤油の話 醤油の種類は、濃口(こいくち)、淡口(うすくち)、溜(たまり)、再仕込(さいしこみ)、白(しろ)の5品目であるが、生産量の84%は濃口である。また醤油には特級、上級、標準の3等級があるが、特級品が64%を占める。ここでは最も生産量の多く、一般的に家庭用に使用されている濃口(こいくち)、本醸造、特級について市販品の品質の傾向を示す。 @関東型 食塩分、アルコール分やや高く、無塩可溶性固形分、糖分、やや低い傾向にあり、関東が最も代表で、北海道、東海、近畿が類似している。 A中国型 無塩可溶性固形分、糖分やや高く、食塩分やや低い傾向にあり、中国が最も代表的で、甲信越が同 様な傾向である。 B九州型 無塩可溶性固形分、食度、アルコール分高く、九州独特の型である。 C四国型 九州同様、糖分、全窒素分、食塩分がやや高く、色も濃い。他の地区にはみられない型である。 次に醤油の成分について述べる。 醤油は五味(鹹・甘・酸・辛・苦)の調和のうえに、香味(フレーバー)が加わった調味料である。醤油独特の味・香り・色は、大豆や小麦を発酵させる時の微生物(麹菌・乳酸菌・酵母菌など)の作用でできるものである。すなわち、醤油の色は糖分といろいろのアミノ酸によるメイラード反応でできる。また、旨味は大豆、小麦からできるグルタミン酸を主とする約20種に及ぶアミノ酸より構成されている。醤油はこのように、すべてのアミノ酸を含んでいる点からみても最高ということになる。甘味は3〜5%のグルコースを中心とする約15種の糖類のほか、グリセリンをはじめとする糖アルコール類、グリシンのような甘味をもつアミノ酸から成る。さらに酸味として約1%の乳酸を主体とし、約15種の有機酸を含んでいる。醤油のpHは4.7〜4.8の間にあり、このpH範囲で醤油の香味が生きてくる、この香味を生かすpH域を維持する力、これを緩衝能というが、よく醸造された醤油は高い緩衝能をもっている。 よい醤油には2〜3%のアルコールが含まれている。醤油の香りは、200種類以上の成分より成り立っており、その内容はエステル・カーボニール化合物群・フェノール化合物・含硫化合物である。特にフェノール化合物の代表的成分であるエチルグアヤコールの存在量の多少によって、醤油の品質は左右されるといわれている。ひとくちでいうと、醤油の特質は微生物の力によって分解してできたアミノ酸の旨味と鹹・甘・酸・辛・苦味のバランス(糖分の甘味、有機酸の酸味、それに塩味)、それに独特の香りが加わった点にあるといえる。 醤油の科学 醤油が一般的に調味料として使われるようになってから300年、今日ではしょうゆなしには日本料理は考えられないほど、家庭の必需品になっています。おひたしや漬物になくてはならない生の醤油、そばやてんぷらなどのつゆ、魚のかば焼きや照り焼きのタレ、すまし汁の味の補助、煮物、つくだ煮と…日常の味をつくるのに欠かせない調味料です。 塩分をはじめ、糖分、酸味、わずかながらの苦味など、さまざまな味が寄り合って、微妙に調和し、特有の色、味、香りを形づくっている日本独特の調味料です。 その反面、醤油は一種の嗜好品的性格を持ち合わせており、土地土地の嗜好、産地、使い方、製造の歴史などにより、また製法や成分などの違いによって、いといろな醤油があります。 普通の醤油(濃口醤油、淡口醤油)他にたまりがありますが、今日使われている醤油の90%以上が普通の醤油です。 したがって、種類は大別すれば、濃口醤油、淡口醤油、たまり醤油の3つにしぼられますが、そのほか、量においてはごくわずかで醤油の骨董品といってよいほど地域性の強いものに、白醤油、甘露醤油などがあります。このほか、調理の使用目的に添って、生醤油、減塩醤油、味醤油なども最近出回るようになっています。 これらの醤油を種類別にして、特徴、産地、簡単な作り方の違い、使い方のヒントを整理してご紹介しましょう。 醤油の歴史 醤油のルーツは「醤(ひしお)」 醤油は当て字で「正油」などと書かれたりしますが、本来は「醤油」と書きます。ここでいう、「油」は、“トロリとした液体”を意味しているとか。「醤」は一言で言えば「塩漬け発酵食品」のことで、ヒシオと読み、これがまさしく醤油のルーツです。 弥生時代までさかのぼる、醤油のルーツ 醤らしきものは、日本でも製塩が始まった弥生時代には、すでに作られていたようです。当時の醤は材料別に、「魚醤(うおびしお)」「肉醤(ししびしお)」「草醤(くさびしお)」「穀醤(こくびしお)」の四種類に「大別され、その中でも米・小麦・大豆などを原料とした「穀醤」が、醤油や味噌の原型と考えられています。また、当時の中心的な醤は、魚介類を主な原料とした「魚醤」と考えられており、現在も秋田に残っている「しょっつる」や、香川県の「いかなごしょうゆ」、能登地方の「魚汁(いしる)」なども魚醤が原型になっていると言われています。ベトナムにある「ニョクマム」もその一種と考えられています。 醤油の誕生 鎌倉時代・室町時代 一説では日本における醤油の発祥は、鎌倉時代と言われています、鎌倉時代の禅僧、覚心(かくしん)が中国から持ち帰った径山寺(きんざんじ)味噌の製法を近所の人たちに教えていたのですが、ある時、仕込みの間違いか、水分の多い「径山寺味噌」が出来上がってしまったのです。たまたまこの余分な水分、味噌の上澄み液をなめてみるととてもおいしく、食物の煮炊きに適していることがわかりました。以後、わざと水分の多い径山寺味噌をつくるようになり、今の「溜(たまり)醤油」に近いものが生産されるようになったということです。 日本で始めて「醤油」の文字が文献に現れたのは室町時代です。室町時代中期には「醤油」と呼ばれる液体調味料があったことは、間違いないようです。 醤油の商品化 安土桃山・江戸時代 織田信長や豊臣秀吉が活躍した安土桃山時代は、町人を中心とする貨幣経済が発達し、物資の流通も活発化してきた為、醤油も徐々に庶民に普及するようになりました。この需要の増大に対応して、16世紀後半から17世紀半ばにかけて、醤油の手工業的生産が始まります。紀州湯浅、薩摩竜野、下総銚子・野田などの地域で、それぞれ醤油醸造が開始されるようになりました。 関西物が「下りもの」なら、関東物は「下らない」もの? (17世紀〜18世紀) 江戸時代でも初期の頃は、政治の中心は江戸に移ったといっても、文化の中心はまだまだ上方(京都・大阪地方)。醤油の産地も上方が中心でした。特に泉州境で酒とともに作られていた「醤油溜(しょうゆだまり)」は評判が高く、元禄のころは名産品として諸国に流通していたと見られます。 17世紀から18世紀にかけて、大阪、ついで江戸が大市場として成長してきます。すでに菱垣廻船や樽廻船という定期船が大阪と江戸を結び、評判の高い上方の醤油も江戸に運ばれ、「下り醤油」として名声を博しました。この頃は醤油に限らず、酒でも菓子でも上方から下ってくる「下りもの」は高級品、江戸周辺の産物は「下らない」もの、つまり下級品ということになっていました。 「下り醤油」から「関東地廻り醤油」へ(18世紀中〜) 京都・大阪では、18世紀も半ばを過ぎると、他国の醤油が入りはじめ、京都・大阪の醤油醸造業は衰退していきます。これ以後、関西の醤油市場は竜野を中心に、紀州湯浅、小豆島の醸造業者が支えていくことになります。 一方、江戸においては、「下り醤油」の割合が落ちて、近郊の地廻り醤油が爆発的に勢力を伸ばしていきます。関東地廻り醤油の中心的産地は、銚子、野田、そして土浦でした。このうち銚子では宝暦四年(1754)、野田では天明元年(1781)にそれぞれ醸造油仲間が結成され、以後生産量を着実に増加させていきます。 関東の濃口醤油が江戸の食文化に貢献 江戸において、下り醤油が影をひそめ、関東地廻り醤油が勢力を伸ばしていった背景には、利根川や江戸川の水運を利用した地の利の良さと、霞ヶ浦周辺の大豆や筑波の小麦といった質の良い原料生産地に近い為、高品質の「醤油」が提供できたことがあげられるでしょう。そしてさらには、小麦を多用した香り高い「濃口醤油」が、新鮮な「江戸前」の魚介類の調理にピッタリで、上方文化の伝統を離れて江戸独自の食文化を形成しつつあった、江戸の人々の支持を得たことが大きな要因となったのです。しかし世間的評価の点では、依然、下り醤油が長年の名声を保ち、「極上醤油」として最上位にランクされ、地廻り醤油はいま一歩低く見られる傾向がありました。 幕府のお墨付き!「極上醤油」の上を行く関東「最上しょうゆ」 ところが、江戸も末期の元治元年(1864)、名実共に「地廻り醤油」が「下り醤油」の上に立つ出来事が起きます。この年、幕府はインフレを抑えるため、諸商人に現行の3〜4割の価格引下げを厳命します。銚子と野田の醤油醸造家は、「醤油は品質を落としたり、量をごまかしたりできないので、値を下げれば経営できなくなってしまう。」と申し立てたところ、幕府は「もっともだ!」として、「次のものyは品質が特に最良なので“最上醤油”として、特別に値下げをするに及ばず。」と、現行価格で販売することが許可されたのです。この恩恵に浴したのは、銚子のヤマサ、ヒゲタ、ヤマジュウ、ジガミサ、野田のキッコーマン、キハク、ジョウジュウの七銘柄だけでした。 醤油の発達 明治時代以後 明治時代に入ると、醤油はいよいよ庶民の生活必需品として定着し、消費量が増えていきます。それに伴い、生産量も増加、販売競争も激しくなっていったのです。 第一次世界大戦後の好況で近代化 明治時代には、醤油産業もまだ手工業的要素が強く、設備の近代化が進んでいませんでした。しかし、明治15年以降は、醤油の理化学的な手法の研究が進み、これより製造技術が長足の進歩を遂げていったのです。日本の醤油産業が近代的な大量生産体制に移行したのは、大正7年の第一次世界大戦後に訪れた好況時代。この好況が近代化に拍車をかけ、企業の合同も行われて、大量生産時代に突入していくのです。 ところが昭和12年以後、原料の入手難から質の向上よりも、量の確保が先決になってしまいました。本醸造醤油はほんのわずかしかつくられず、代用品として「アミノ酸」醤油」が生産の主流となる時代を迎えます。そして、醤油業者が再び品質の向上を目指すことができるようになるのは、終戦後の昭和25年配給公団が廃止され、価格統制が撤廃されて、自由販売が認められるようになってからでした。その後約半世紀を経た現在では、均質ですぐれた本醸造の醤油が大量に生産されるようになり、北米を中心に、世界中に輸出されているように、その調味料としてのし裾野をますます広げています |
| 第三回「醤油名匠」を受賞致しました |